45. 糸はきれて それから?

「今日で境事務所やめることになりました。ほんとにちょっとの間でしたが、
とてもお世話になりました。ありがとうございました」
「エツ!? 辞めるの?」
「はい」

「もし近くに来ることあったら、ちょっと顔出してみてよ、ね」

いつも帰る道の反対向きに歩いているのに気がついたのは、
何分くらいたってからだったのかしら。

低い小さなビルの間の空を見ると、小さなさざ波のような雲。
手が届きそうもないくらい、遠く。

わたし、糸の切れた凧なんだ。
今なら、とても自由に、どこへでも飛んでいける、と思いました。
「しっぽの端でいいから、誰かが持ってついてきてくれたら・・・。
でも、凧のしっぽって細い紙だから、すぐ切れてしまうかなあ」

ふしぎに、あなたの顔も声も心の隅にさえ浮かんでこなかったんです。

少し広い通に出た。小さな駅のそばの商店街らしい。
狭い車道をバスがゆっくり行く。

電車の駅一つくらい歩いたようでした。
まだ日は暮れていないけれど、人が大勢、忙しそうに歩いていました。
次の角でもう一度細い道に曲がり、次あたりの角で、
ガラス戸の張り紙、目に留まります。
『芦田デッサン教室』

何も考えないで戸を開けてみたら、三脚を前にした人が三人ほど、
男性一人が振り向いてくれました。
年は幾つくらいか、あまり若くない、頭にちょこんとベレー帽をのせた、
茶色っぽい服の人。

「デッサン習いたいの?」
「は?」
「先生は今、ニューヨーク」
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by chigsas | 2009-10-20 08:21