カテゴリ:小説( 83 )

お母様がいらしたあの日は何でもない日だった。
覚えている程のこと何も起きなかった。
そう思っていたけれど、本当はそうではなかった。

お母様は私のこと、とても正確に知ってらっしゃるらしい、
と感じて安心した。
それは、私にとってすごく大きなことだった。
だからかえってあの日は、特別何もなかった日なんだ。

お母様、私が何をしてきたか。どんな人間か。みんなわかってらした。
うちの父さんと母さんより、事実を知っていらしたかもしれない。

「あなたがちゃんと私のこと話している」
うれしかったの。

「親のわたくしだって、何を考えているのか、全然分からないんだから」
って、本当ではなかったかも。というか、
あなた、考えていることは黙っていても、
起きていることは、話していたんだ。ね?

でも、ほんとは、そうじゃなくて、
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あなたの話から勘のいいお母様が、全部を感じ取って下さったのかしら?
by chigsas | 2011-06-13 16:35 | 小説
気がついたら自分がいて親がいたんだよね。
私もそうだけれど、そして、
兄弟とか、親類とか余分な人たちもぞろぞろ・・・。

そう言う「周りの物」を脱ぎ捨てて生きていく。
そこだけかもしれないね。二人に共通してたこと。

ほんとは私たちふたりとも、ずっと前から、
そう分かってた。ね。
糸の切れた凧じゃあなくって、
自分でちぎって切って生きてきたんだ。
二人とも。

で、こんどは。あなたが、糸を引きちぎった。
ひとりで、どこに行くの?

お母様がいらしたあの日は何でもない日だった。
覚えている程のこと何も起きなかった。
そう思っていたけれど、本当はそうではなかった。

お母様は私のこと、とても正確に知ってらっしゃるらしい、
と感じて安心した。
それは、私にとってすごく大きなことだった。
だからかえってあの日は、特別何もなかった日なんだ。

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by chigsas | 2011-06-06 20:00 | 小説
母さんよりすこし年上らしいけれど、
全然違うタイプの女の人。

小兄さんがいつか
「マサオ君のお母さん、女子高の先生だった、んだって、
話の分かるヒトらしい」
うらやましそうに言ってたけれど。

あの一番最初のあなたのアパートで。
お母様からの電話で呼び出されたあなたが戻ってきたときの、
ほんの少しだけれど不機嫌な顔と足音、
今思いだすと違和感があったのかもしれません。

あなたのお家のこと、私は全然知らなかった。
聞きもしなかったし。お兄さんとお姉さんが多分一人ずつ。
とは知っていたけれど。今もなにも知らない。
お父様があの後すぐ亡くなって、少ししてお母様も。

あなたが何度か田舎にいったけれど。
私は当たり前のように一緒にはいかなかった。

母さんのとき、父さんのときも、同じでしたね。
あたしだけ、必要最小限。

「当たり前の世の中の付合いには、入りたくない」
「そうだよね」
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by chigsas | 2011-05-30 19:15 | 小説
あたしたち、毎日なに話してたのかしら? 
あのころいつも。
毎日飽きずに話していたよね。
しゃべるのは何時もあたしだった、かもしれないけれど。

「木の実さん、あんな子を抱え込んで、大変でしょ。
親の私だって、何を考えているのか、全然分からないんだから」

なんて答えたのかしら。私。
「ううん、ぜんぜん、何思ってるか分かるもん、あたしには」

心の中でいったけれど。
今考えると、全然分かってなかったんだ。

「冷蔵庫あけていいかしら?」
「あ、はい」
お昼は、美味しい中華丼ぶり作ってくださった。
お母さま、ちゃんとエプロンもっていらしてた。
あたしが、どんな女か分ってくださってる。
嬉しかったよ。・・・ほんと。
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by chigsas | 2011-05-22 01:54 | 小説
「えっ? 野田の?」
と口の中でモゴモゴいいながらチェーンを外して、ドアをあけました。
お母様ドアから一歩下がった。
冬のさなか、中ヒールの靴、細い足と、重そうなオーバーコートの裾。

「どうぞ、お入りになって」
ちっともあなたに似ていない、と思ったのだから、
もうそのときはどなたか分かっていたんだ。   

「この辺り、若いときに一寸土地勘があったから。
駅前の交番で聞いただけでそのまま来られたの。温かなのねえ、ここ。」

あなたの事務所に電話しようとしたら、
「まだいいの、いいの。木の実さんと話したいから」
「真雄には昨日、事務所の方へ電話してあるし」

何を話されたのか、私が何を言ったのか。ほとんど記憶がない。

あの頃にはもう、私もあなたも、糸の切れたタコだったんだ。
ふたりとも。
ほんとはずっと、そんな気がしてたんだ、あたし。
そうだね、ホントにそうだったんだ。
今になると、はっきり分かるよ。
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by chigsas | 2011-05-13 17:20 | 小説
「マサオ君おふくろさん、話の分かる人、」ってあれはちがうんだ。と、
チラっと思ったの、頭のどこかで。

みんなすごい昔のこと、ねえ。
あの不思議な事務所に始めて行ったときの私、
焼き鳥屋さんでレバ焼き食べていた私も、
どこに行っちゃったのかしら。

そう言えば、あなたの「おふくろさん」に会ったのは、
結局たったの一度でしたね。

お母様が、急に東京に出ていらした。後で気がつけば、
あの頃もう、お父様の具合が相当悪かったらしいけれど。
お兄さん夫婦に任せて。

「一日だけ無理しました。気にかかっていて。
あの子、小さいときからああいう子で、何も言わないで
、思ったことを押しとおして・・・」

あなたが留守のアパートに、急にいらした。
「野田の母、でございます」
インターフォンの向こうで聞こえる声
、何を言ってるか分からなくて、

勧誘の人なら管理人室で断ってくれるはず、と、
ピントのはずれたことが頭をかすめます。

「えっ? 野田の?」
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by chigsas | 2011-05-03 17:07 | 小説
小さな喫茶店のドアの横、狭い急な階段、
あなたのお尻にくっつくように上りました。
真ん中が狭い廊下、両サイドに扉がくっついて並んでいました。
夢で見たことあるような、不思議な空間。
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その真ん中あたり、鍵穴に鍵を差し込みながら
「狭くてびっくりだよ。きっと」

びっくりはしなかったけれど、確かに狭かった。
「ハモニカ長屋って聞いたことあるけれど、
ハモニカの一つの穴に入ると、中はこんななのね」
「・・・」

小さな丸テーブルのそばに折りたたみの椅子をだしながら、
あなた、声立てないで笑った。
「みんな古道具屋で揃えたんだよ。鹿浦さんに助けてもらって」

「鹿浦さん、・・親切なんだ」
「事務所持つのも、彼のアイデアだから、仕事もだしてくれるし」

あの晩、どんな話したか、ほとんどおぼえていません。

「おふくろ、反対なんだよ」
「ちゃんとした会社に勤めて、経験積んで・・・」
「いつも心配ばかりする。息子のこと全然信用しないんだ」

私があなたの話の中から拾い上げた言葉は、この三つだけだった。
あの日は、あなただけがほとんど話したのに。
あんなに話すあなた、私は始めてみた、と思ったことも思い出すのに。

私は、体の中に暖かい何かを抱え込んで、
黙っていた。嬉しかったんだ、きっと。だけど、
by chigsas | 2011-04-21 08:47 | 小説
あたし、受話器持ったまま、椅子から立って、
何歩か歩いて、机の端にお尻乗っけた。
あ、アメリカ映画の女優さんがするみたいなことしちゃった。
と、首すくめたかもしれない。夕方の事務所。

その日は篠原さんと竹内さんが一緒に出かけたので、私一人、
そろそろ帰ろうとしていたところでした。  

「いいんですか? いっても」
「コノちゃんの事務所にも近いんだ。
4丁目の交差点の交番の裏側に、15分後ってどう?」
「うんうん。」

それからどうしたのかなあ。事務所の鍵ちゃんと締めて出たのかな?

クリスマスが近かったから、人もいっぱい。
音もにぎやかな、夜の街をあなたはさっさっと歩いていきます。
わたしも、早足で歩きながら
「いつだっけ、こんなことあった」
あなたいつも、早足でさっさっと歩くんだ。
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「ん? なに?」
「なんでもないヨ」
そうだ、あのときだ、と思い出しました。
ピーマン分解しながら、歩いていたあなた。同じように隣にいたんでした。
by chigsas | 2011-04-09 07:49 | 小説
前日の晩から、ずっと続いていた、心もとない、頼りない感覚。
あなたの周りに薄いもやが幾重にもかかっている。
もしかしたら、もやは、あたしが張り巡らせている網かもしれない。

あたしは、じっとしている。
あなたの姿がすこーしはっきりみえてくる。だのに一瞬、
あなたが消える。

あたしが動くと、あなたが見えなくなる。

何日かして、めったに電話なんかくれないあなたから
「うちの事務所にくる?」
「えっ! ?」

間違い電話かな、と思いました。
あなたの声とはわからなくて、受話器、すこし耳から離して、

「わっ」って声が出たかもしれない。

「ん? なに?」
「わーっ、のださんっ」
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by chigsas | 2011-03-23 22:13 | 小説
次の朝出社したら、私の机にマグがそのままありました。
冷たいコーヒーが入ったまま。
前の晩、篠原さんが用意しておいてくれたらしい、仕事の袋と並んで。
袋は、その頃覚えかけていた、ワープロ打ちの仕事でした。

とりあえず、ガスにやかんをかけて、机を拭いていたら、
「おはよー。寒いねー。もう12月だからあたりまえだけど」
竹内さんが元気に出社してきました。

ストーブ、つけ忘れてたんです。
そうだ、寒いんだ。慌てて石油ストーブつけたら、燃え始めの石油の匂い。
あのときの匂い、まだ思い出します。前の晩から私にまといついていた何か。
それがくすぶった匂いでした。

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「夕べは、
あなたのとこに
行けなかった、
だから」

また、私は
糸の切れた
タコになった。
と、その時
思いました。

でも、
境事務所を
クビになった
ときに感じた
のとは、
ぜんぜん違って
いました。

なぜ? 
どんなふうに?

あの、
あっけらかんと
した自由。
どこに消えた
んだろー?
by chigsas | 2011-03-16 19:30 | 小説