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私があそこで抱えていた重い心もいっしょに、戻ってきます。

「今日は雨だから、良かったら私のところでお茶、いかがですか?」
「いいんですか?」
思わず声が弾んで、鍵をもう一度締めました。

トイレに行くとき前を通るけれど、立ち止まったのは初めて。
入り口には角の丸い小型の名刺が貼ってありました。
「金田三登子」

私の部屋と同じ造りの6畳。整理ダンスの上に食器棚。
その横に電話機。タンスの横に小さな冷蔵庫、畳の上に小さなちゃぶ台。

チリ一つ落ちていないきれいな部屋でした。その時、
私の部屋がほこりっぽいのは絨毯敷いてベッド置いてるからと、
心の中で言い訳しました。

「遠慮無くどうぞ」と押し入れから座布団出してくれて。
きれいな手つきで、お茶をついでいる手元じっと見ていたからでしょう。

「指先が荒れて、仕立てものに引っかかるのよ。この頃」
独り言みたいに言います。
私のこともほとんど聞かない代わり、自分のことも言わないので、
金田さんが着物の仕立てをしているらしいと、そのときわかりました。

食器棚から最中の包み出してきて、
「昨日息子が持ってきてくれたお菓子の残り、まだおいしいから・・・。
息子、時々ここに昼寝にくるの。赤ちゃんのせいで、
夜眠れないこと有るのね。」
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by chigsas | 2009-08-30 02:34
何年か後で、デパートのバーゲン台の山ひっくり返していたら、
見覚えのあるハンカチがでて来て、あわてて山の下に隠しました。
クローバーの葉で縁を取り囲んだデザイン。
多分私の作品で唯一メーカーが買ってくれたもの。
もちろん「売れないデザイン」でした

所在なくてなんとなく見ていたバーゲン台の周りに、
あの工房のお昼休みのおしゃべりのざわめき、よみがえりました。

「片山さんのは、いいデザインだから
今週もきっと売れるよね。うらやましい。」
「ううん、私のなんてだめ。後藤さんこそ、
いつも買って貰えているじゃない、ねえ。」
「そうだよ、ねえ」

「ハンカチのデザイナーは私には無理」と、恐る恐る電話したのは、
駅近くのボックスからでした。
ちょうど梅雨に入る頃で、少し強い風が打ち付ける雨の滴が、
電話ボックスのガラスに斜めに流れていました。

ボックスを出ながら、雨だから今日は母さん絶対来ない、
と気がついたのです。
部屋に戻って鍵を開けていると、
一番奥の部屋の人が流しでお茶碗洗っていました。
私が初めて友達になった年上の女の人。
母さんよりいくつか若そうだけれど、全然違うタイプの人でした。

引っ越して2日目くらいに顔を洗っていたら、
「おはようございます」
って声かけてくれた。
「学生さん?」
「いいえ」
「じゃあ、お勤めですか?」
「いいえ」

その時はそれだけだったけれど、親しくなれるかもしれない、気がしました。

私の部屋の前の廊下に広い流し台とカウンターが有って、
そこが台所で洗面所。廊下の突き当たりにお手洗い。

あの頃のこと、こんな風に思い出すと、
私があそこで抱えていた重い心もいっしょに、戻ってきます。
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by chigsas | 2009-08-28 06:27
口をきいたのは、全部で4回。
「おはようございます」
駅の傍の文房具屋さんで買った履歴書用紙に適当に書いた
履歴書を渡すとオーナーが「タダさんじゃあなくて、オオタさんなのね」。

「はい、ただではありません」
わざと『唯』に聞こえるように言ったので、
誰かがくすっと笑ったようでした。
お昼に、「駅の近くにあるパン屋さんでお昼買ってくるといいよ」
とオーナーに言われて、

「はい。そうします」
帰りに

「さようなら、明日もよろしくお願いします」

あ、そうだ。
お昼は、パン屋さんの近くで小さな公園を見つけて、ぶらんこに腰掛けて、
サンドイッチとミルクコーヒーでした。
工房に1時ちょっと前に戻ったとき、「外で食べてきたの?」に、

「はい、公園のぶらんこで」
って、答えたから全部で5回でした。

オーナー以外は全部女性という環境、びっくりすることだらけでした。
5人の間にちゃんと序列あるんです。
一日中ラジオがかかっているのにも驚きました。

三日目の朝9時ちょっと過ぎにつくと山本さん、もう掃除機かけていました。
「バケツと雑巾は流しの下」といわれて、机と座卓をふき、それから、
みんなのお茶碗温めた。

あの工房での一ヶ月くらいの間で、お茶を淹れたことと、お掃除。
仕事と言えばそれしか覚えてません。お昼休みのおしゃべりにうんざりして、
どうしても起きられなかった朝、10時頃、工房に電話しました。

「そう。もうあきらめたの。もう少し頑張ってみれば、
よいデザイン画けるようになりそう、と、期待してたのに残念ね。
気が向いたらいつでも遊びに来ていいよ。」

オーナーはいい人でした。
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by chigsas | 2009-08-26 06:55
2日目、9時半ぎりぎりに工房に着いた私に、一番年かさの女性が、
「新人はちょっと早めに来て部屋のお掃除と、みんなにお茶いれて・・・」
と、少しきつい調子で言いました。

若い女性ばかりの中で、この人だけ五十は超えているようにみえましたが、
あとで聞くと、オーナーの奥さんのお母さん。
着物の柄を染料で直接反物に描く仕事をしていて、
台所の蒸し器は反物を蒸して仕上げていたものでした。

家でもお茶なんていれたこと無かった私が慌てて台所へ立つと、
「今日は山本さんがしてくれてので、明日からお願いします」
前日私はお客様していたんだとわかりました。
山本さんらしい人が私の方を見て、頷きながらちょっと笑う。
彼女、私に教えてくれるつもりらしい。

2日目で初めて私に笑いかけてくれた人、でした。

「今日はとりあえずみんなのしていること、見ていなさい」
前日の朝、最初にオーナーに言われた。

それぞれの人が自分のデザインを描いていました。
ポスターカラーだったり、カラーインクだったり、技法もいろいろ。
画材も紙も自分のものを工房に置いているらしい。

変な若い子が飛びこんできた、という感じで、その日は誰からも完全に無視。
でも、知らない遊園地へ一人で迷い込んで遊んでいるようで、
私には楽しい1日だったんです。

棚の雑誌を見たり、製品になったハンカチやスカーフのファイルを見たり。
私が欲しいものは無いけれど買う人いるのかしら
と余計なこと考えたり。

口をきいたのは、全部で4回。
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by chigsas | 2009-08-24 06:33
改めて住所を聞いて面接に出かけました。
同じ区内と言っても国電から地下鉄に乗り換えなければ行けない場所。
地下鉄の駅からは2,3分の静かな住宅街にあるアパートの一室でした。

6畳二間続きの部屋に大きな座卓が有って、その周りに5人の女性がいた。
入り口にあるキッチンでは、なぜか大きな蒸し器が盛んに湯気を上げている。
想像していたのとは全然違う工房でした。

私にとっても想像外だったけれど、
部屋の隅の机に座っていたそこのオーナーらしい男性にとっても、
私は想像外の人みたいでした。簡単な挨拶のあと、

「では、まず履歴書を・・・」
って言われて、ぽかんとその人の顔を見た私に
「まあ、いいか。とりあえず、これに名前と連絡先、書いて」
とメモ用紙を差し出しました。

私の持って行ったスケッチブック広げながら
「いくつ?」
「今年高校卒業しました。N高です」
「デザイン勉強したワケじゃないのね?」
「はい。3年間美術の授業とりました。」
「よかったら、試しに来てみてもいいけれど・・・、月給制ではないから、
これで食べるのは無理と思って、なら・・・」
みたいなやりとりがあって、次の日からそこに通うことになりました。

はっきりした金額覚えていないけれど、一ヶ月の定期代にちょっと上乗せ、
メーカーが買ってくれれば、デザイン料として数百円という条件でした。
でも毎日決まった時間に行くところがあるのが、なにより嬉しかった。

今まで身の回りにいなかったような人たちの中に入るのも面白そうだったし。
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by chigsas | 2009-08-22 10:09
次の日、9時半までには工房に行くことになっていたので、
顔と手足洗っただけでベッドに転がり込んでも、目は冴えるばかり。

あなたに電話するまでは、明日の仕事の資料を用意していくつもりでした。
以前に古本屋さんで手に入れたコーヒーカップとスプーンの写真集から、
きれいなデザインをトレーシングペーパーに写して・・・。
でもベッドの中では頭は空っぽのまま窓が白んでくるまでごろごろ。
知らないうちに寝入ってしまったらしく、気がついたら朝7時。

「すみれ工房」って言う名前に親近感がもてて、電話した職場でした。
新聞の地方版の下の隅に出ていた小さな広告。
『ハンカチのデザイナー募集』とうたっていました。
所在地はアパートと同じ区内。条件も書いてなくて
『希望者は電話をください』と、それだけ。

昼中にアパートにいると、合い鍵握られている母さんが不意に来たりして、
予備校に行ってないことばれてしまう。
毎日学校に行くくらいの時間には部屋をでて、駅の売店で新聞買って、
山手線ぐるぐる回ったりして、それから、
ちょっと離れた区の図書館に行ってみたりしていました。

あのころ、三大紙の地方版には求人広告が結構出ていたんです。
あなたはそんなこと知らなかった。何度目かにあなたのアパートに押しかけて
仕事探しの話したとき、驚いてましたね。
今のように週間の専門誌なんてない時代でした。

電話してみた「すみれ工房」。感じのいい男の人が出て、
「何かデザインしたものあったら持って面接に来てください」。

それで、図書館に行って写真集借り、スケッチブックに花のモチーフを描いて
色鉛筆で色を付けて、なんとかそれらしい物でっち上げました。
三日がかり。でも、今思うとなんだかとても集中できて、楽しい三日間でした
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by chigsas | 2009-08-20 06:55
S駅で無意識のうちに電車に乗り、私鉄への乗換駅で下りて、
通路歩きながら、しまった、と一瞬思いました。
外が真っ暗になっていて、そんな時間にあの道15分歩くのは怖い、
時間はかかるけど、N駅からバスならアパートのそばまでいけたのに、と。

S駅の改札からホーム、電車の中でも、私の心空っぽだったんです。
あなたの笑っている目が、浮かんでくると、下駄を履いているあなたの足を
初めて見た時の感覚が体を趨って、反対に心はどーんと重くなっていきます。
なにも考えないで、重くなっていく空っぽの心だけ抱えて、
私は電車に揺られていたのでした。

改札口から回れ右したら、あなたは、さっと自分の世界に戻っていって、
茶碗や割り箸や、私のいた痕跡をかたづけて、
やりかけの課題の続きに集中していたんでしょうね。きっと。

あの改札口には透明な仕切りがあって、そこから
あなたは私に関係ない自分の世界へと帰っていってしまった。

あんな時間に初めて乗る私鉄I線の電車、込んでいたのに、
空っぽの重い心抱えて私、一番隅の座席に座り込んでしまいました。
でも、ほとんど意識しないで降りる駅で降り、改札通って、
栗畑の横の暗い道もまっすぐ歩いて、アパートまで帰り着いたのです。
部屋の前で鍵を開けるためにバッグの中かき回しながら、
ちっとも怖くなくうちに帰れたこと不思議、でした。

あの時にはぼんやりしていたけれど、あの日、S駅の改札口から、
私にとりついていた重い心、それが何だったか、はっきり分かったのは、
ずっと後になって、あなたといっしょに暮し始めた最初の日です。
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by chigsas | 2009-08-18 10:14
駅について切符買って改札口へ急ぐ人の波から少し外れて、足、止めました。
ハンカチのデザインしている工房に行き始めたこと、簡単に話してから、
「ありがとうございました」
って、お辞儀して、顔を上げたら、あなたの笑っている目にであいました。
多分私、ぴょんと回れ右して、改札口に駆け込んだでしょう。
あなたが見送ってくれている様な気もしましたが、本当はあなた、
さっさと回れ右して帰っていったのでしょうね。

私が初めて借りてもらったアパート、寂しいところにありました。
ゆったりした広い敷地に、大家さんとは別棟で建つ、2階建て。
うちからは私鉄で二つめの、小さな駅から歩いて15分。

そのころはまだ、住宅の間に栗畑なんかあったりして、
母さんが不動産屋さんに行って決めてきてくれた部屋でした。
周りの環境と大家さんの人柄で決めたんだと母さん言ったけど、
まだ小さな子どもがいる若い奥さん、親切で優しい人でした。でも私、
あの頃そういういい人はちょっと苦手だった。

そんな寂しいところだから、夕方は早く帰るだろうと読んでいたらしい。
私の部屋は2階の3部屋の真ん中、日当たりもいい気持ちよい部屋でした。
昼間ずっとこの部屋にいて、本読んで一日過ごせたら幸せ! 
と、本気で思いました。

母さんと父さん二人がかりで、ベッドとか日用品の荷物運び込んでくれて。
当座の食糧も小さな冷蔵庫にいっぱいに詰め込んでくれて・・・。私は、
「これじゃあ冷蔵庫ちっとも冷えないで効率悪いよ」
とか、見当外れの文句言うのがせいいっぱいでした。

それでも、夜一人になれたときの嬉しかったこと。
広い空を翔けているような・・・
いろいろ全部が一気に解決できるような。でも錯覚でした。
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by chigsas | 2009-08-16 10:46
「そういえば、マサオくん・・・」
振り返ったあなたの顔見て、兄さんたちのまねした「マサオくん」と言う
呼び方がふさわしくない、と気がついたのです。

「野田さん下駄はいてないんですね」
「ここ、廊下がモルタルだから、音、響くんだよ。ビニールの突っかけ、
かっこよくないけど・・・」
「ごめんなさい。急におしかけたりして。もう・・・」

スケッチブックとバッグつかんで、立ち上がった私に、あなた、
ちょっとびっくりしました。わたしは、もう用事すませた気分だったんです。

「駅まで送るよ」とあなたもいっしょに立ち上がって鍵締めて、
表に出たら、もう夜、あたりの景色もすっかり変わっていました。

着物をきれいに着こなして背筋のばした女性が、前を足早に行きます。

「このあたりのアパート、うちの他は、ほとんど夜のお勤めの人。
それで、おふくろ余計心配する。自分の息子を、全然信用してないんだよ。」

「・・・で、何か用事あったんじゃないの? 就職ってどんな仕事?」
「仕事はじめたこと、母さんにも父さんにも内緒・・・、それで、マサオ君、
じゃない野田さん思いついたんです。
すみません。ご飯までごちそうになったりして。」

広い通りに出るまで、二人とも黙って歩きました。
あなたが困っているの、わかります。

「ハンカチのデザイン」
「え?」
声はパチンコ屋さんから聞こえる大きな音楽に消されがちです。
それで、そのまま駅まで黙って歩いてしまいました。
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by chigsas | 2009-08-13 07:23
心がどんどん重くなってしまいます。2年と言う時間が、あなたを
すっかり大人にしてしまったこと、感じていたからでした。
公園の向こうの下宿に尋ねて時、ボストンバッグ脱いだり、履いたりしていた
あなた。今、自分で手早く整えた夕食を頬張っている、目の前のあなた。

「セロリはこのナイフで、かじりやすい大きさに切って、味噌付けて・・・」
と言ったところに、ブザーの音がどこかで鳴りました。
私は一瞬びくっとしたけれど、あなたは茶碗おいて立ち上がり、
窓を開けて下に向って大きな声あげました。
「はーい、いまいきます」

あなたは、入り口から廊下、階段駆け下りて消える。
開けたままの窓、何気なく見たら手の届きそうな隣のアパートの部屋で、
女の人が、窓際の小さな鏡台に向かって、まじめな顔してお化粧の最中。
おいしいお味噌付けてセロリかじりながら、
まるで、夢の中にいるような気持ちでした。

階段駆け上がる音が軽くして
「おふくろ、もう! 毎日のように、なんだかんだって。
電話の呼び出しだって一回20円。
部屋代払う時、まとめて請求されるんだから・・・。
タケシ君にも、おばさん、やっぱり同じ?」

あなた、開いたままの窓締めて、カーテンも閉めて。
外が暗くなり始めていました。

「去年はね。今年はそうでもない・・・。
オオニイサンが就職したから、母さんの気持ち、そっちにすこし
移ってるみたい。おかげで、コニイサンだけじゃなく、私もラクなんだ」
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by chigsas | 2009-08-11 06:31