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あわてて、入り口近くのスイッチ押して部屋に明かりをつけた。

「予備校いってませんね とうさん心配してます 日曜日 昼にきなさいね」

中年の女の字、嫌い! いつも、とうさん、ばかり!
その日は木曜でした。

かあさんが入れて置いたらしいタッパー見えないふりして、
牛乳を紙パックからそのまま飲みました。冷たくておいしい、
胸に流れおちていく秋。そうだ秋だ。
田中さんの短い髪と小さな顔が目に浮かびました。

次の朝、金田さんが起きないうちに顔洗って、大急ぎでアパートを出ました。
お茶の水の駅のそばの喫茶店でモーニングのトースト。
おなかが収まると次に何したらいいかが、見えてきました。
でも、時間の計算を間違ったみたい。

まだ開いていない画材屋さんの前にしゃがんで、歩いている足を見ていると、
いろいろな靴が通ります。急いでいる白いズック、
大きな靴と並んでいく細いハイヒール。
あなたの下駄を履いた足が目にうかびました。

「すみませんん。うち、十時半開店なんです」
鍵をガチャガチャしながら画材店の店員さん、
私が店の前にしゃがんでいるのを見てあわてて駈けてしまったようで、
ちょっと息はずませています。
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by chigsas | 2009-10-30 10:25
耳の横で小さく手を振って、二人は反対向きのホームに下りていきました。

電車を下りてバスを待つ間に自分がいる空間が、
現実のものになって身体の周りに戻ってきます。アパートの部屋。
金田さんはこのごろ顔を合わさないけれど、もしかしたら、
心配しながら、わざと避けくれている? 

それからあなた。見たことない学校と、あのアパート、多分きっと、
他のことは小さなかけらさえ入る余地ないほど、
デザインの課題に集中している。

明日は、境事務所には出勤しない。

バスのいちばん後ろに腰を下ろすと、
「引っ越し」という言葉が胸に、浮かびました。

扉のない門の横の、生け垣で立ち止まって、アパートを見ました。
狭い玄関のドアの上と金田さんの部屋だけ明かりが灯って、
静まり返っていました。ずっと遠くできこえた犬の鳴き声。

玄関入って、右手のスイッチ押して明かりをつけ、靴入れに靴をしまう。
音がしないように階段昇って、部屋の明かりもつけないで、
ショルダーバッグかけたままベッドに仰向けになりました。

やっぱり、糸の切れた凧でした。

お腹もすいていました。昼は境事務所の近くの喫茶店でランチを食べた。
バスの中でバッグからミルキーを一粒見つけてなめただけだったから。

冷蔵庫から何か、と気がついて起き上がるとき、
背中で紙がカサッと音を立てたけれど無視した。
冷蔵庫の扉開けると、薄明かりが部屋にひろがった。 
そのまま扉閉めてベッドに戻ったら、窓から差し込む月明かりの中、
バッグの横に小さな紙切れ。手帳をちぎったらしい、ギザギザに切れている。
「かあさん」
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by chigsas | 2009-10-27 15:40
少し時間がたったようだけれど、障子があいて、
小さなグレーの人が顔を出した。
不似合いなほど大きなサンダルをつっかけて土間におりて、
ゆっくりと近づいてきた。本当に小さな人だった。私の肩に頭がある。
「デッサンやりたいの? それとも、絵を描きたい?」
「はい・・・。両方。」
大きな優しい顔で、目が笑っている。

そのあと、何話したか分らないけれど、画板を貸してもらい、
デッサン紙と木炭をもらってその日、教室が閉まるまで、絵を描いた。
知らないうちに何人かの人が入ってきて人数が増えていったらしい。

ベレーの人は、「おさきー」と大きな声で皆に挨拶し、帰っていった。
私の横、通りながら、
「オッ、いいセンスしてるじゃない! 明日も来る? ネ」
絵を見もしないで、と思いました。

だんだん人が減って、最後まで残っていたのは花模様のパンツの女の子と、
ボーイフレンドらしい若い男の子。

「どこまで帰るんですか?」
「もう遅いから、Nからバスの方がいいかなぁ・・・。」
「じゃ、国電の駅まで、一緒、ネェ?」
ちらと、男の子に目をむける。
「うん、そうだね。」
言いながら彼は、彼女の画板と自分のをまとめて抱える。

「あたし田中です。たなか みちこ。みちこは道草の道、平凡でしょ。
この人は学校のクラスメート高田君。いつも、あたしにくっついてくる人」

「わたしは、おおた このみ、といいます。
おおたは多い少ないの多いの方。このみは漢字の木と実の2字なんです」
「そ。すてきな名前じゃないですか」

並んで歩き出したら、思っていてより小柄で年は私より相当上のようです。
女の子というのは失礼な、ちゃんとした女性です。

駅で
「じゃあ、また あした ね」
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by chigsas | 2009-10-25 14:50
「?」
「風呂だよ、銭湯」

ガラッと戸が開いて、赤い花模様の細いパンツで、
頭の形がはっきり分かるほど髪を短くした女の子が飛びこんできました。
入り口近くに突っ立ったままの私にぶつかりそうになって・・・。
えっ、この人が? と一瞬思ったけれど。
お風呂の道具でなく大きな画板、抱えていました。

反射的に少しよけた私を無視して彼女、
向こうの角に立てかけてある三脚と椅子引きずってきて、組み立てながら
「おはようございます」
小さく低い、静かな声です。

部屋の真ん中に丸テーブル、その上にリンゴと壷、
『絵のような配置』で並んでいる。

「椅子もってきて、座って待ってるかい?」と、ベレー帽の男性。
「いえ、いいです。このままで」

ここ、もとはお店屋さん? 何屋さんだったんだろう。
床はコンクリート、壁にはカーテンがかかっているので分からないが、
入り口のガラス戸以外には、窓がないらしい。
ガラス戸の反対側は一段高くなった部屋。仕切りは下にガラスの入った障子。
ガラスを通して古い桐ダンスが見えるから、隣の部屋は和室なんだ。
聞こえるのは、さっき入ってきた女の子が、ピンで紙を画板に止める音だけ。

今思い出すと、薄暗い部屋だった。
上からテーブルの静物にいくつかのライトが当っていた。
ベレー帽の人以外、最初からいた二人は男だったか女だったか。

私、立ったまま、うとうとしていたみたい。
「先生、教室に入りたいという人が、・・・。」

「ああ。」
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by chigsas | 2009-10-23 18:43
「今日で境事務所やめることになりました。ほんとにちょっとの間でしたが、
とてもお世話になりました。ありがとうございました」
「エツ!? 辞めるの?」
「はい」

「もし近くに来ることあったら、ちょっと顔出してみてよ、ね」

いつも帰る道の反対向きに歩いているのに気がついたのは、
何分くらいたってからだったのかしら。

低い小さなビルの間の空を見ると、小さなさざ波のような雲。
手が届きそうもないくらい、遠く。

わたし、糸の切れた凧なんだ。
今なら、とても自由に、どこへでも飛んでいける、と思いました。
「しっぽの端でいいから、誰かが持ってついてきてくれたら・・・。
でも、凧のしっぽって細い紙だから、すぐ切れてしまうかなあ」

ふしぎに、あなたの顔も声も心の隅にさえ浮かんでこなかったんです。

少し広い通に出た。小さな駅のそばの商店街らしい。
狭い車道をバスがゆっくり行く。

電車の駅一つくらい歩いたようでした。
まだ日は暮れていないけれど、人が大勢、忙しそうに歩いていました。
次の角でもう一度細い道に曲がり、次あたりの角で、
ガラス戸の張り紙、目に留まります。
『芦田デッサン教室』

何も考えないで戸を開けてみたら、三脚を前にした人が三人ほど、
男性一人が振り向いてくれました。
年は幾つくらいか、あまり若くない、頭にちょこんとベレー帽をのせた、
茶色っぽい服の人。

「デッサン習いたいの?」
「は?」
「先生は今、ニューヨーク」
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by chigsas | 2009-10-20 08:21
「すみませんでした。本当にお世話にばかりなりました」

少しぽかんとしているうちに、いろいろはっきり見えてきた、と思いました。
ノブちゃんの様子よりも先生の様子から、こうなること、
ちょっと前から気がついていたのかもしれないんです。
でも、現実に何がおきているか、私、分かってなかった。

あなたがいつも言っていた「いつも上の空」

先生は、自分の部屋に戻ると、封筒を持って戻ってきました。
それを私の前のテーブルに置いて
「事務的に片付けるようだけれど」
と言って、ちょっと間をおきました。
「今月分と来月分・・・」
「もっと多田さんにぴったりの仕事見つかるといい、けれど、
これがいちばん面白いってものを見つけて、
勉強するのがほんとはいいのかもしれない。まだ、うんと若いんだし・・・
おせっかいだけれど」

ここに私の居る場所がなくなったんだ、と分かりました。

いつも持ち歩いていたスケッチブックとさっきまで広げていた週刊誌を
ショルダーに入れて立ち上がりました。

「いっぱいいろいろお教えていただきました。ありがとうございました」
そういうのが精一杯でした。

お辞儀して玄関で靴を突っかけて外に出て、ちゃんと靴を履くために
うつむいたら、ショルダー抱えたまま、しゃがみ込んでしまいました。
マンションの入り口のドアが開く音に気がついて、
とっさにゴミ置き場に隠れました。

エレベーターが昇っていく音聞きながら、管理人さんの顔思い出しました。
ハンカチで涙と鼻みず押さえて。
余分な気持ち追い出すために頭を一振りして、
管理人室をのぞくと湯のみを手にして、手持ち無沙汰そうでした。
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by chigsas | 2009-10-17 08:09
「ノブちゃんの様子から、気がついていると思うけれど・・・」
といいながら先生が折り畳み椅子を持ってきて、
週刊誌をめくっていた私の横に、少し離れて腰を下ろした。

めったにないことだった、いや、もしかしたら初めてだったかもしれない。
それで私は緊張して、無意識に立ち上がった。
座るようにと、だまって手で合図する先生の動作につられて私は、
椅子の向きを変えて座り直した。

「・・・」
黙ったまま先生は肘を大きなテーブルについて足を組んで、足下を見た。
それから、背を伸ばして座り直した。

「多田さん、デザイナーのアシスタントなんかより
もっとあう仕事あると思わない?」
「?」
「女の人は、うちの奥さんの姉さん、
雑誌社に勤めている編集者なんだけれど、彼女見ていつも思うんだけど、
がんばって仕事するよりいい人のお嫁さんになる方が・・・」
「いい人が居ても、その人のお嫁さんになれないなら、どうするんですか?」

先生はまた足を組んで、今度は肘に頬杖ついてしまった。
そのまま何分かたった。ほんの数十秒だったかもしれない。
私は何がおこり始めているか全然気づかなかった。

「つまり、多田さんに、
他の仕事さがしてほしいの。多田さんにとってもその方がいいかもしれない」
「はい」
「ビジネスライクにいえば、今月いっぱい来てもらってってことだけれど、
こんな話の後で、半月もここに通うのは気分的にいやだろうから、
多田さんのしたいようでいいけれど」
「はい」
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by chigsas | 2009-10-14 07:57
「イエスの言葉だけれど、このごろデザイナーにとって大事なことはこれかな? って思うんだ」
「?」

「一度自分をゼロにして、相手が欲しいと思っているものに気がつくこと。
デザイナーにとってというか、何でも同じ、かもしれないけど・・・」
「そんなことできないよ! 田絵子さんじゃなけりゃ!」

なぜあんな言葉言ってしまったんでしょう。あなたの顔色がさっと消えた。

「五月に、辻さん亡くなったんだ。・・ね。」
「あっ!!」

その後どうしたのか、全然覚えていません。

次の朝、早く目が覚めました。ぐっすり眠れていて、目が覚めた瞬間に、

「あの事務所に、体も心もどっぷりと浸かってみよう、私を変えよう!」
って思ったのです。やればできるかもしれない・・・。
なぜ、そう思ったのかしら。・・・でも。

部屋の真ん中に新聞紙を広げて、洗面器に水を汲んできて、タオルを固く絞って身体をごしごし拭きました。

昨日までの自分が、淡くなっていくようでした。

あの事務所の雰囲気に合う服、少ない中で探し、何度か着替えて、でも違うなと思いながら、それでも駅までの道、元気に歩きました。

事務所の鍵を開けると、玄関の靴入れに、新しいスリッパが並んでいました。
ちょっとゲレーがかった薄いピンクと白のストライプ。先生のとノブちゃんのとの色違いです。

うれしかった。
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by chigsas | 2009-10-10 06:24
あなたと暮らすようになって、あるとき、
あの日のあの瞬間のあなたが、ぱっと現れました。
そういうことが何度かあって、気がついたんです。あのときには私、
自分の存在全体であなたを感じていたって。
形の上で結婚して日常的に、あなたがそばにいる状態が続いていくうちに、
少しずつ少しずつ、私の中のあなたは融けて、小さくなっていきました。

「お昼は、事務所で食べないことって、最初から言ってくれればいいのっ!」
「?」
「スリッパだって、どういうの買えばいいか、教えてくれたっていいでしょ」
私あのとき、心と体と感情と、バラバラに爆ぜて壊れていきました。

「ま、冷たいの飲んで頭冷やして、腰おろして」

テーブルをはさんで、あなたがベッドに腰を下ろすのにつられて私も、
木のスツールに座りました。
バッグをテーブルに置き、紙コップを口に持っていったけれど、
口の中カラカラなのに、そのままテーブルに戻しました。

あなた困っている、と感じました。
困ったノブちゃんの顔と先生の顔も見えました。
(ほんとはどんな顔していたか私は知らない。けれど、
何分かの間二人が私のそばに立っていた、あの大きな重い存在)

「蛇のように賢く、鳩のように素直に・・・」
「なに? それ」
「イエスの言葉だけれど、このごろ、デザイナーにとって大事なことは
これかな? って思うんだ」
「?」
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by chigsas | 2009-10-08 12:49
スリッパが決定的でした。
選んだスリッパが、私がどんな人か、先生達に、いいえ何より、
私自身にはっきり見せてくれたのです。
具体的には思い出せない。けれど、スリッパ売り場を
何回も行ったり来たりして、迷った末に決めたものでした。

スリッパを床に置いた瞬間、先生とノブちゃん、顔を見合わせました。
部屋の中流れていた柔らかい空気が、止まって重く固くなっていました。
二人の足下見ると、先生は濃いグレーと白、ノブちゃんはネイビーと白。
横縞の同じデザインのを、はいていました。

「ノブちゃんが明日、買ってきてくれるから、
それは多田さん、じぶんちで使うといいよ」

その日、電話もしないであなたの部屋にいきました。

入り口の戸ノックしたらすぐに開いて、あなたのびっくりした顔と、
石鹸の匂い。テーブルの上には、真っ赤なタオルがはいった白い洗面器。

「風呂から帰ったところ。今日は暑かったから、早く行ったんだ、
いいよ、入って・・・」
窓の外のロープにタオル干しているあなたの背中、
白いTシャツ。ぶわーっと大きく広がっていきました。

ゆっくりと、というのか、手を止めて、一瞬何か考えていたんでしょうか。
あなたは、こちらを向きました。

「や、ハンカチのデザインの仕事、どう? 
ちょっとだけ、デザイナーさんらしくなった、ね。」
「違う。いまは、デザイン事務所のアシスタント」

「?」
黙って冷蔵庫から缶ビール出して、紙コップに少し注いで、
ちょっとこちらに押してから、あなたはいっきに缶の中身を飲んた。
のどを流れ落ちるビールの冷たさが、わたしの胸を通り抜けていった。
ごくごくと動くのどの骨に私、ふっと指をのばして
触ってしまいそうになりました。
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by chigsas | 2009-10-05 09:51