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あの頃はまだ土曜日、休日じゃなかったから、
学校に行く田中さんと一緒にアパートを出ました。
「じゃ」と短く言って乗り換えの階段昇っていく田中さんの背中見てから、
私は新聞を買ってホームのベンチに。

部屋が決まったから次は仕事探し、だったけれど、
新聞にはめぼしい仕事でていませんでした。
数分おきに入ってくる電車、降りる人と乗る人の足元みていると、
腕が寒いと気がつきました。
半袖から出ている肘が冷たくなっていたんです。秋の朝でした。

なぜか、あなたの顔目に浮かびます。夕飯ごちそうになった夜、
駅の改札で、一瞬見上げたときの笑っていた目。

それからどうしたか、具体的には思い出せないけれど、
あの日、あんな時間にあなた、アパートにいたんでした。

部屋の前に立ったとき、中からテレビの音が小さく聞こえて、
すごくうれしかった。でも、ノックして、あなたの顔があらわれたとき、
「しまった、また、やってしまった。あなた、きっと困る! 」
けれど・・・。もう取り返しききません。

あなたがどんな表情をしていたか、見ませんでした。
だまって入り口を塞いでいた体をずらしてくれて、
つられて私が部屋に入ると、テレビを消しました。

「母さんにも、小兄さんにも、言わないでほしいの」
「ん? なにを?・・・・」
「・・・・・・・ 。」
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by chigsas | 2009-11-29 05:12
結局、前の日と同じおそば屋さんに入りました。

店の主人がテーブルを拭いていて、まだ、のれんも出ていませんでした。
「早いですね。ちょっと待ってください」
拭き終わったらしい隅のテーブルに腰を下ろすと、
ちらとこっちを見てそのままテーブルの上を整えています。
白衣を着た小柄な主人がきびきび働いているの、
朝らしくて気持ちいいと思いました。

男の人が本気で働いているところ、それまでに見たことあったかしら。
父さんは家ではいつも、タラッとくつろいでたし。

「カレーうどん、ですか?」
「アッ。はい」

その晩は、田中さんのアパートに泊めてもらいました。

駅から5、6分の静かな住宅街。
大家さんとは別棟で二階建ての1階。4畳半二部屋に2畳くらいの台所。
小さな、半畳ほどのお手洗いもありました。
「上も同じ間取りの部屋なの。共働きの若いカップルだから、静かでしょ」
上と下に同じ一室ずつ。一口にアパートって言っても、いろいろあるんだ! 
と大発見した気分でした。

「すぐ眠れるように」
って田中さんがウイスキーをお湯にたらしてくれて、
疲れていたせいか、すぐ寝入ってしまいました。
あんなに人の近くに寝たのは中学の修学旅行以来、だったけれど・・・。
四畳半の部屋いっぱいに布団二つ並べたので、
端が重なっていたんですから。

目が覚めて、半分寝ぼけて伸びしたら、
田中さんもう着替えして布団もあげていました。

冷たい牛乳に、キューリとレタスに市販のドレッシングかけたサラダ、
このごろあまり見なくなったポンと飛び出すトースターの薄切りトースト。
サラダのおいしかったこと。ドレッシングのあの独特の匂いも、全然気にならなかった。
二畳の台所、その一角の小さなテーブルの朝ご飯でした。
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by chigsas | 2009-11-25 12:52
そういえば一度、彼女の書の展覧会の案内カード貰ったことありましたよね。
今もファッションメーカーに勤めながら、書を続けてるのかしら。
もう十年以上会っていないけれど。高田君一緒なのかしら。

あの葉書「気持ちのいい字だ」ってあなた、
しばらくの間玄関の壁に留めてましたね。おぼえてる?

次の日のこと、細かいこと何も覚えていないけれど、大家さんから鍵貰って
部屋開けたらほとんど同時くらいに田中さんが現れたんでした。
高田君のお友達は荷物運び込んで、
「じゃあ。仕事だから」
と帰っていきました。

友達というから、同い年くらいかと思ったら、ずっと年上らしい。
おじさんでした。

布団と、服と、食器の入った段ボール、
スケッチブックなんかの小物を入れた段ボール。荷物といってもそれだけ。
全部入れても一間幅の下半分だけの押し入れが、がら空きでした。

「私は学校行くから、多田さん、さっと片付けしてからデッサン教室でね」
わたしは一人で放り出されてしまいました。

何もない部屋にぼーっと座っていたけれど、なにもすること思いつかなくて。
他の部屋の住人はみんな出かけたらしくて、シンとしています。

外に出てみたら、来たときには締まっていた床屋さん、お店開いていました。
ホントにお店だけの十畳くらい。中年の男の人が、掃除機かけています。

こんどこそ、ホントの糸の切れた凧。と思いました。
思いっきり自由。だけど、どこにも行くところがない。
お腹がすいていることにも、気がつきました。
朝、顔を洗っただけで水も飲んでいなかったんです。
部屋に戻って、デッサンの道具担いで、鍵締めて、とりあえず電車に乗って。
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by chigsas | 2009-11-22 05:24
田中さんは、部屋に入ると、一回り見渡しながら、
「ここ南向きで日当りは良いし、引っ越すのはもったいない。
あの部屋は北向き、下は床屋さんだったから昼間はやかましい、
前が飲み屋さんだから夜も、時々やかましいかも・・・、
んだけど、引っ越すっかない、ね。」
夜なのに、どうして南向きだって分るのか不思議でした。
今度のアパートの周りも、どうなってたか、私には思い出せませんでした。

私が、疲れてしまってベッドに腰掛けると、押し入れから
布団や毛布を出して、「シーツ類の換えはどこ?」と聞きます。
押し入れダンスからシーツやタオル出すついでに、
私も、着るもの一式ベッドの上に出しました。

ぼーっと見ているうちに、二時間もかからないで、
明日持ち出すものがまとまりました。

「ふとんは、起きたらたたんでベッドの上に置いといて。
朝、私が来てから、まとめるよ」
「鍵、二つあるんでしょ? 一つ私に貸して。
明日、田中君の友達と二人で来て荷物運び出すから。多田さんは先に
あのアパートに行ってて。
そうだ、ぞうきん持っていって、ホコリだけ拭いておくといいよ。」

私鉄の駅まで送っていくという私に、
「今日は疲れているでしょ。早く寝なさい。私は一人でだいじょうぶだから」
と、帰っていきました。

田中さんのほうが私よりよっぽど疲れていたかもしれない、
と今思いますが、彼女の心と体の造りは、私の想像の外。
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by chigsas | 2009-11-18 11:11
駅を下りると田中さんはさっさと、まだ開いている雑貨屋さんに
入っていって段ボール3個買い、店を出てすぐに、
「そうだ、紐もいるよね」
とまた、店に戻っていきます。

「風呂敷はシーツで代用しておけばいい。乗用車だから汚れる心配ないし」
と言いながら出てきました。
「田中さん、画板どうした?」私、このとき始めて気がついたんです。
「高田君がもって帰ってくれた。決まってるじゃない」

田中さんについて私は、何も知らなかったんです。
「田中さん、アパート、ひとりで?」
「んーん、早稲田の夜間に行ってる兄と一緒、道路公団に勤めているの。」
「ご実家、どちらですか?」
「実家って・・・。そんなもの、ないよ。もう父も母もいないし。」
「えっ?」

それ以上聞いていけない、と思いました。
でも、田中さんは屈託なく大まかな身の上話してくれました。

両親は早く亡くなったこと。
一緒に住んでいるお兄さんの上がお姉さんで、
結婚して北海道に住んでいること。
今は失業保険で生活していること。去年まで繊維関係の会社に5年間努めて、
その退職金でファッションスクールの入学金と授業料を払ったこと。
失業保険が切れたら、夜働くつもりでいること、
など。
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by chigsas | 2009-11-16 10:20
一度不動産屋さんに戻って手続き済ませて教室に行くと、
何人かが、もうデッサン始めていました。高田君も来ていました。

「あなたはデッサン始めていて」
と私に言うと田中さん、小声で高田君に何か言って表に連れ出します。
ツンボ桟敷におかれたようで、私は、落ち着きません。
しょうがないので、ベレー帽の男性見つけて、
デッサン教室の入会の面倒見てもらいました。

画板に張った白い紙の中のどこにリンゴを置いたらいいか
やっと見えてきて、木炭を紙に当てた頃、二人が教室に戻ってきました。

「ちょっと、明日のこと」
今度は私が表に連れ出されました。
「高田君の友達が明日の午前中に荷物運んでくれることになったから、
あなた十時くらいにさっきのアパートにいける? 
今夜、布団と着るものと食器類、絵の具とか、当座必要な物だけ
風呂敷と段ボールにまとめておくの」
私の顔見て
「あなた一人では無理だ、ね。あたしが手伝うわ。ここ早めに切り上げて、」
ぼーっとしているうちに、ずんずん進んでしまいます。

「まず、お腹こしらえてから」
夕飯は駅の近くの立ち食いラーメンで済ませました。

電車のなかで、予備校にいく約束でアパートを借りてもらって、
でも行っていないこと、父さんと母さん、兄さんたちのこと話しました。
その間中あなたの顔と、なぜか多絵子さんの顔が頭の中に、
浮かんだり消えたりしていました。

電車の中では、私一人でしゃべってしまいました。
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by chigsas | 2009-11-11 05:58
「自宅はどこ? 」
「Kです」
「アパートと近いんだ」

コーヒーが来て、そのまま何も入れずに一口飲んで、
「今日は金曜だから、明日引っ越ししなきゃいけないんだ。
そうだ、この先に学生向きに部屋を紹介しているところがあるから、
いい部屋が見つかるかもしれない。お茶飲んだら行ってみる? 
ところでお金あるの?」
「はい。なんとか、あると思います。」

田中さん、何でもパッ、パッっと決めてくれたんです。
前の晩に浮かんだ田中さんの顔と、その日は少し違ってはいましたが。
一回り締まって固くて弾んでいる。
「はい!」と言ってついていくしかない感じ。

「敷金一ヶ月だけだから、とりあえずこの三畳の部屋にする?」
「はい」
入会金を払うと、カウンターの中の学生風の人が大家さんに電話してくれ、
すぐに見に行くことになってしまいました。

「デッサン教室の隣の駅から、私鉄に乗り換えて二つ目、
駅からも歩いてすぐ。いいでしょ? 私のアパートはその二つ先だし。
隣駅まで歩きましょう。電車に乗るよりその方が早いから」

あなたのアパートのように、大家さんの2階の部屋でした。
入り口も大家さんの玄関の横。門はなくて玄関が直接通りに面している。

三畳の部屋って、鼻が壁についてしまいそうに狭いんです。

「押し入れ狭いけれど、
さしあたって布団と着るものだけ入ればいいでしょ・・・」
押し入れは一間幅の下半分でした。
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by chigsas | 2009-11-08 18:01
お勘定するとき、芦田デッサン教室への道を聞きました。
「反対側の歩道を、駅と逆の方に行って、二つ目を右に曲がるとすぐ」
と説明してから、ちょっと一息置いて
「芦田先生て、すごい絵描きさんなんですよ、ほんとは。K会の。
あたしは、小さいときからの友人なんですけどね」

昼のお客で、店は混み始めていました。

教室には、もう田中さんが三脚立てていました。
「今日は早いでしょ私。午後の授業は英語だから・・・
出なくもいいことになっているの。とくべつ。で、あなた、受験生?」

静物の載ったテーブル見ながら言う田中さんの隣に、私も三脚据えます。
「いえ。わたし、部屋と仕事探さなければいけないんです。ほんとは。」
「えっ? なに?!」
田中さん、体ごとクルっとこっちを向きました。

昨日、境事務所を首になったこと、母さんから逃げるために
引っ越ししたいことを小声で簡単に話すと
「ネ、そこの喫茶店でお茶飲みながら詳しく聞くよ。
先生、くるのは、まだまだ、だから」
さっさとバッグもって、立ち上がっています。

表通りに出てすぐの小さな喫茶店に向かい合って座りました。
窓際だけれど暗い狭いテーブルでした。

「お部屋と仕事とどっちが緊急なの?」
「部屋です。日曜日に家に帰らないと多分すぐ、かあさんが連れ戻しにくる」
「自宅はどこ? 」
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by chigsas | 2009-11-05 22:09
山手線をわざと遠回りしてO駅で下り、一瞬考えてしまいました。
前の晩は田中さんにくっついて駅まで歩いたけれど、
あのデッサン教室は夢の中だったのかしら。
電車から降りた人が改札から散っていって、
人影が減った構内と明るい見覚えのない街並を見ていると、
それまでハイだった気分が急にしぼんでいきます。
もうお昼近い時間。
駅の斜め前の角が、小さなおそば屋さん、古い店らしい。
かすかにカレーのにおいが流れてきました。
通りの信号を渡って入ってみると、お店はガランとしています。

壁際の椅子にかけて、画材屋さんから担いできた大きな袋を
横の椅子に置いたら、身体中の力が抜けた。

「芦田先生のところの?」
焼いた杉らしい板に和紙を貼ったおそばのメニューが
目の前に出されて、店の主人の声。
「芦田先生?」
「絵描きさん」
「・・・、あ、デッサン教室の・・・」
私、何秒か眠ってたらしい。

「この近くですよね。道が思い出せなくて・・・。
カレーうどんお願いします」
「カレーうどん。ですか?」
「はい」
さっきの匂いは駅の隣のスタンドからだったんだと気がつきました。

カレーうどんて、カレーの辛さと香りの中に甘みが隠れていて、
元気出しなさいって言ってくれているみたいなところが、好きです。

何時だったか、あなたにつきあって下町歩いて疲れて、
おそば屋さんに入って、カレーうどんって言ったらあなた、
「こういう店でカレーうどん注文するの?」
珍しく非難がましい口ぶりでしたね。
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by chigsas | 2009-11-02 11:23