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喫茶店の次に私が勤めたのは、デザイン事務所でした。
やはり、新聞の地方版で見つけて、電話して、
次の週から出勤したようなきがする。
神田の古本屋街の路地を入った小さな建物の二階。

クライアントは境事務所のように大きな企業ではなくて、
小さな会社のパンフレットやダイレクトメールや葉書や、
新聞に折り込みにするチラシも作ってました。

社長も入れて10人ほど、デザイナーは2人、
アシスタント2人、カメラマンが一人、あとの社員は何していたのかしら。

私ホントに嫌なやつ。
面接のとき「境事務所でアシスタントしていました」って言ったんですから。
「境事務所はクライアントにNとかSをもっていました」って。
アシスタントらしい仕事何もしなかったのに。ただ見ていただけだったのに。

始めの三月ほどは見習いだったけれど、四ヶ月目には、
いっぱしのデザイナー気取りでした。

社長がコネで取ってきた小さなお菓子メーカーのカタログ、
任されたのが仕事らしい仕事の最初だったかな。
私、「簡単かんたん」と思ってました。たしかに、仕事は簡単なことでした、

特別のセンスもいらないしアイディアが無くたって、
前の他の人がやったことを、そのまま真似すればいい。真似するほうがいい。
ただし間違いはいけない。間違えないことが何より大事なことだったんです

でも、デザインという仕事が全然違う世界をいくつも持っているらしいこと、
その頃多分気がついていました。
あなたが集中しているのは、鏡の向こうの、
私には何の関わりもない宇宙にある世界と思っていたようなきがします。今。

「多田さん!」
朝、自分の机に、仕事を広げたところだった。
出社してきた社長の、怒声が跳んできた。

「これが、二千円のお菓子か!?」
2、3日に前に校了にしたカタログが机の上に載っていました。

「あ、ゼロ一つ多い」
一瞬ポカーンとして。
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by chigsas | 2010-01-30 11:52
でも、あなたはいつも、私の直ぐ傍の鏡の向こうにいました。
それは私の心だけのことで、あなたの与り知らないことだったけれど。

知らなかったけれど、あの頃母さんは、
ときどきあなたのところに電話していたんですね。

私って母さんにとってそんなに怖い娘だったのかしら。
私から見たら、母さんなんて、私の意識から消えてなくなってほしい女
だったんだと、今は思うの。でも、あの頃、母さんが振り込んでくれるお金、
ちゃんと使っていたんだから。最初から分かっていたように
私の方が母さんの百倍も嫌なやつ。だったんだ。

いつだったか忘れたけれど、
私がアパートを引っ越して直ぐの頃だったような。
「おばさんが電話してきて、郵便局の口座にときどき木実の生活費
入れておきますからって」
「いらない! そんなもん。 私、自分で働くもん」
「かっこ良くなくても地味でも働くのがいい、っておじさんは思ってる
らしい。おばさんだって、学校にいくことにこだわっては・・・・」

でもそのとき、私一番聞きたかったのは、
あなたがどう思っているかだったんだ。
あなたは、私のことを全然他人みたいに思っている。
泣きたくなったけれど、私、泣きたいときに泣くことできない。

ちがう! 泣きたくなったんじゃなかったのかもしれない。
心の中の冷たい物が私をしばりつけていた。縛り付けられて私、
大きな汚い泥の固まりになってたの。あなたの前にごろんと転がってた。
わたし、本当は泥の固まりだったんだ。

今だって泣きたいんだから。私。ホントは。
それなのに、おおきな泥の固まり、のまま、湿っぽくて、
カビ臭くて、ゴロッと転がっているんだ。

あなたがいなくなった今、私がケロッとして生きているって、
兄さんたちも、思っているし。あなただってそう思っている?
ケロッとしているんじゃなくて、泥なのあたし。

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by chigsas | 2010-01-28 06:05
喫茶店をやめたからデッサン教室には昼間行くようになって、
山屋さんとも顔を合わすことなくなりました。

あれがデートだったとしたら、私には始めてのことだったけれど。
映画見ている時も食事中も私はなにも考えても、感じても、いなかった。
山屋さんといる間は、あなたという存在も、私の中から消えていました。

あの時のあなた、不思議な顔してた。
おぼえている? あなたどんな気持ちだったか。あのとき。
私が始めて見たあなたの「不愉快な顔」。笑っているのに
何を考えているのか分からない顔でした。

「あ、私のこと、イヤなんだ」
私の心の中に冷たい透き通った物が、刃物のように滑り込んできました。
それは私の心に根を張って、知らないうちに私の心の一部になって。
今も・・・・・。

ちがう、かな。小さな氷のカケラに気がついたのは、もっと前だった。
多絵子さんの歌が流れていたお茶の会でうつむいていたあなた、あのとき。
高2の展覧会のあと。
小さな氷の薄いカケラが、私の中にツツッと滑り込んできたのです。

あなたのあの「不思議な、不愉快な顔」を見たときから、ずいぶんのあいだ、
私はあなたのところに行かなかった。
どのくらいだったか思い出せないけれど。ずいぶん長い間だった。

就職のことで忙しかったんですよね、あなた、あのころ。
わたしのことなんか、全然。頭の隅にさえなかった。
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by chigsas | 2010-01-24 09:53
職安の人がお茶も飲まずに帰って、ほかの客も帰って誰もいなくなったとき、
「ねえ 多田さん、こまったわねえ。」
「はっ?」
「××さん、職安の。気が小さいのねえ」
「・・・・」
「今ごろになって、ビビっているのよ。正式に紹介したのではないし、
多田さんは学生で未成年だし。ここに紹介してまずかったって。」

ぽかんとして、わたし何も考えてませんでした。わたしのいつものポカーン。
このポカーンのお蔭で、わたし、根性があるとか
バックボーンがしっかりしているとか、ときどき良い風に誤解されるんです。

よく覚えていないけれど、あなたのアパートに行ったのは、
あなたの顔見たいこともあったけれど、
新しい仕事探しがうまくいってなかったのと、暇を持て余していたから。

「山屋くん、話が何もなくて、映画見ている間はよかったけれど、
全然間が持たないの」
「コノちゃんでも、話がないこと、あるんだ」
「私じゃなくて、山屋くん。黙ってばっかり」
「・・・」
「夕飯も御馳走になったんだけれど、ずっと黙って食べたの」
「・・・」
「デートって、いいねっていわれて、えつ?って」
「・・・」
「私が大きな声で笑ったから、
山屋くんも一緒に笑って。雰囲気やっとほぐれた」
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by chigsas | 2010-01-18 06:13
父さんも、母さんも、兄さん達も、知らない人に近い。
いくつもの空気の層にさえぎられている。
あなたは、たぶん鏡の向こうで、直ぐそばにいました。でも、
触ることはできない。

「アイスコーヒーのグラス掴んでいる親指のに小さなイボがあったの」
「ンっ?」
とあなた、私の親指を見ようとしたみたい。
私はあなたが出してくれたお水を飲もうとしていました。

「イボなんかないじゃないか」
「違う。私じゃないの。山屋くんの」
「?」

「映画見ようって誘われて、待ち合わせした喫茶店で。
そのまま帰りたくなっちゃった、
悪いから帰らなかったけれど。」

「あの指、触るのも、触られるのもいや。」
なぜか、この言葉は、言ってはいけないと飲み込みました。
でもこの言葉が浮かんだから、この日の出来事と、山屋さんの名前を私、
今まで覚えていたんです。

あの時も、いつものように突然あなたの部屋にいきました。
あなたは就職のために先輩に会ったりしていた頃だから、
いないことが多かったけれど、その日は運良く部屋にいました。ね。

そのころ喫茶店は、もう私、やめていた。

何ヶ月目くらいか、あのお店紹介してくれた職安の人が改まった顔で、
ママを訪ねてきた。その前にも何度もお店にきていたんです。
いつもは常連のお客さんと言った感じで気楽な様子でした。
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by chigsas | 2010-01-14 05:50
芦田先生は、何も教えてくれなかった。
いつも、黙って教室の中をゆっくり歩いて、ときどき、
誰かの後ろにそーっと止まる。
「ウーン。そう見えるんだ。そうか」
と一人でうなづいたり、
「この花、はなびら、もっと薄くて柔らかいんじゃない?」

でも、何も言われなくても、先生が後ろに立ってくださると、
デッサンの狂っているところにハッと気がついた、
そんなことが何回もありました。

お店の方は、慣れてくると、初めほど疲れなくなりました。
いつも来る御常連は顔も覚えましたが、
お客様は全然違う世界の、なんの関わりもない人でした。

あの頃が、わたしのなかで、一番あなたが淡くなっていた時期だったんだ
と今は、わかります。周りを全部変えたら、
私の中からあなた、追い出すことできるかも知れない、
と、思っていたような気もします。

絵を描くことも面白かったし、お店で、コーヒーを運んだり、
テーブル拭いたりすることも、
そこで私が何かをしている、という実感が気持ちよかったから。
生まれてからそれまで私、本当は何もしていなかった。

それまで私、いつも半分眠っていたんです。
ときどきは、目が覚めたことあった、かもしれないけれど。

お店に来る人が、自分とはなんの関わりもない人、と気がついたとき、
というのかしら、いや、知らないうちにそう感じていたことに気がついた時、
身体から、余計なものが落ちていくような不思議な感じでした。
身体から薄い皮が剥がれて、空気が直接皮膚にさわるみたいな。
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by chigsas | 2010-01-10 15:02
しばらくして、コーヒーのいい香りがながれてきました。
お店の中の空気が、すーっと軽くなって行くようでした。
「おおたさん、新聞をとじてくれない?」

ママがホッチキスと一緒に新聞を出して、カウンターにおいた。
わたしは、布巾もってぼーっと立っていたのかもしれない。
椅子に座るわけにもいかないし、どこにいたらいいのかもわからなかった。

「新聞の広告を外して、バラバラにならないように、ホッチキスでとめて、
二つに折ってあそこに立てて、昨日の新聞はこっちへ。
テーブル、使うといいわ」
見ると、マガジンラックに新聞が立ててありました。
キイさんが、一つ掴んでカウンターに戻って広げました。

その日は5時頃まで、店にいました。
「おつかれさま。また明日もお願いね」
「はい」と返事するのがやっと、ホントに疲れ果てていました。

疲れていたけれど、田中さんに会いにデッサン教室にいきました。
それなのに、まだ田中さんも高田君もきていません。
デッサンの道具も持っていないし、芦田先生もベレー帽の人も見えないし、
そのまま帰りました。

その日のこと、後はなにも覚えていません。
いいえ、その日だけでなく、あの頃の記憶ほとんどありません。

ほとんど毎日、午後は喫茶店でアルバイト、
夕方からデッサン教室に真面目に通っていたんだ、きっと。

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by chigsas | 2010-01-07 06:56
ママがエプロンを出してきて貸してくれました。
まわりにフリルがついた短い真っ白なエプロン。上着を脱いでこれを結ぶと、
それだけで、ウエイトレスらしくなったのに、自分でも驚きました。
中学生の頃、かあさんがエプロンを買ってくれた。
小花のプリントで胸当て付き、でも、一度掛けてみて直ぐにタンスの中、
それいらいエプロンなんてしたことがなかった。

カウンターの中にある小さな鏡に映る自分に、
「そんなカッコウさせられて、ふん!」
と、一言声をかけてみたけれど、
いやにすました顔をして、冷たかった。

手を洗っていると、ママの張りのあるきれいな声。
「いらっしゃいませ」
ドアが開きかけで、男の人が顔をのぞかせ、一瞬、立ちどまったようでした。

「今日から、アルバイトさんがきてくれることになったの。
よろしく。彼女おおたさん。」

「キイさんは、ご近所のお店のご主人。」
カウンターにおしぼりと灰皿をだしてから、

「おおたさん、テーブル、さっと拭いてね」
声の調子が、ぴっとかわった。たたんだ布巾を、カウンターのすみに置く。

そのとき、私の仕事はカウンターの外なんだ。と気がつきました。

カウンターから出て、布巾を持ってテーブルまでいくのに、
なんだか時間がかかったような感じでした。
テーブルがある空間は一段高くなっているのに気がついて、そこで、
脚を止めたからかもしれません。

「ホット、でいいですか?」
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by chigsas | 2010-01-04 11:36
「じゃあ、アルバイトでもいいんでしょう」
「そうですね。・・・・・・そのほうが、いいかもしれない・・・」
また少し考えていたようで、

「知り合いから、アルバイトしてくれる人を頼まれているんだけれど」
「?」
「小さな喫茶店、昼間だけ4、5時間でいいらしいけど、でも、
予備校は昼間でしょう」
「きっさてん? あ、昼間でも、いいです」
「もし、よければ、ちょっと待って」
席を立ってカウンターの隅の電話をとりあげました。

職安て聞いたことあっても、入ったことなかった。
見回すと入り口の右側に小さなカウンターがあってそこが受付らしい。
手前の広いカウンターの前にはいくつかのテーブルが並んでいる、
テーブルの上にファイルらしいものが立ててあったかしら。
奥のカウンターの前には椅子が沢山並んでいたようでした。

「ごめん、ごめん。ほんとなら、
まずあそこの受付で、手続きしなくちゃいけなかったんだけれど・・・、
今電話したら、その店で、ぜひ来てほしいっていうから。
国電のK駅から歩いてすぐのところ。あ、そうだ、どこに住んでいるの?」

「Nです。Kなら多分バスで8分くらいかしら。北口ですか? それとも、」
「北口だけれど」

「高校時代あそこの古本屋さん、良く行ってたから、分かるかもしれない」
「そうだ、予備校の学生証みせてもらっていい? 
メモでいいから、住所と電話番号も書いてくれる?」
なんだか、すっかり、友達きぶんでした。

丁寧な地図書いてもらって、お昼過ぎにそのお店に一人で行きました。

駅から近いけれど、ちょっと路地を入ったところなので、
静かな小さな喫茶店でした。
カウンターに椅子が6つ、テーブルは2つだけのホントに小さな喫茶店。
ママさんが一人でやっていました。

「夜は、お酒を出すから、バーなんだけれど、昼間は喫茶だけ。
でも、九時には閉めてしまう。夜も、時々友達が手伝ってくれるのよ」

まだ自己紹介もしないうちに気さくなママでした。
きもの着てたから落ちついて見えたけど、たぶん30代だったんでしょうね。
「よかったら、今日からでも、無理かなあ?」
「い、いえ、大丈夫、です」

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by chigsas | 2010-01-01 13:57