「・・・・、よかったら、ここへくる? へんなとこだけど」
「うん」
何言ってるのか要領を得ない私に少し閉口したみたいで、あなた、
とりあえず自分の部屋に招いてくれたのですね。
山手線S駅の改札口で、ということになりました。

あなたの部屋、ホントにへんなところにありました。
駅の近くに集まっているごちゃごちゃの商店街を抜け、国道の信号わたって
パチンコ屋さんの角を曲がると急にぎっしり家が並んでいる細い路地。

どの家も二階がアパートになっていましたね。ああいう商店街もアパートも、
今では、風に飛ばされたように消えてしまっています。

商店街をぬける途中で、あなたが足を止めたのは間口一間くらいのお店。
ちょうどシャッター開けておじさんが、段ボールから
トマトを取り出して並べているところでした。
キョロキョロしている私を置いて店に入ると、あなた
ピーマン二つとセロリを勝手に持ってきて、
一言二言なにかおじさんと言葉交わしたようだったけれど。

新聞紙の包み抱えていくあなたの後ついていきながら、
「八百屋さん? 今頃お店開くんだ」
「そう、その代わり、夜中の1時頃まで開いてる」

そのまま、二人とも何もしゃべらないで、あなたのアパートまで歩きました。
ずいぶん、長かったように思ったけれど、駅から4,5分の距離。
あなた、手持ちぶさたで、その上話すことも見つからなくて、
居心地悪そうでしたね。
16. パチンコ屋さんの角 曲がって_a0134863_1314364.gif

# by chigsas | 2009-08-05 13:19
私は、ちゃんと予備校に通うからと父さん説得して、念願の一人暮らし
始めたばかりでした。予備校は名前が一番ポピュラーな所に手続きしただけ。
好きなことするためには働かなければ、と仕事探しに一生懸命でした。

働き始めた日、いきなりあなたに電話しました。
小兄さんからもらった、あなたの電話番号、メモを見ながらダイアルして。
まだその辺にいっぱいあったピンク電話でした。街角のたばこ屋さんの店先。
カウンターの隅の、ズドンと重そうで、色とはちぐはぐな形と大きさ。
あなたの部屋にも電話なんてなかったから、呼び出し電話でしたね。
あなたが出るまで、まだ見たことないあなたのアパートの様子想像しながら、
体中が心臓になって脈打っていました。

手の中の受話器まで大きく「ドッキ、ドッキ」。

「のだ、です、が」
ずいぶん時間かかって、やっと、いぶかしそうな、はっきりしない声。
そのときはじめて、「ああ、留守でなくてよかった」と体の力抜けました。
それで、留守かもしれないという心配もしていた、と、気がつきました。
「なんだ、コノちゃん・・・」
私とわかって、あなたも、力抜けた声になった。

「こんな時間だからおふくろでもないし・・・、で?」
「今、しごとおわったとこ。」
「え?・・・バイトはじめたの?」
「バイトじゃない。本職。今日、初出勤なの」
「・・・、いま、どこから?」

「たばこ屋さんのピンク電話」
15. たばこ屋さんの 電話_a0134863_10233952.gif

# by chigsas | 2009-08-03 10:18
二人ともしばらく黙って何も載っていないないテーブル見ていました。

「一週間くらいまえに、関さんがお見舞いにいったと、電話くれたの。
・・・そうだよね。まだ私たち十八だもの。
・・・ひどく悪いらしい。もう・・・」
私と違って心も体も健康そのものだった美代ちゃんには、
病気や死は遠い世界の話。
だから余計にショックも大きかったのでしょう。

もうあなたの耳に入っているのかしら、と、反射的に思いました。

良い奥さんになるには男の人のこと良く理解しなければいけない。
そう思って男子高校選んだという田絵子さん。自分のための夫が、
自分の前に現れること、まだ疑っていないんだ、きっと。

美術室で歌っていた田絵子さんの横顔・・・。私の胸、はりさけそうでした。
あなたに田絵子さんの病状誰かが話しているなら、あなた、
どんな目をして、何見てるのかしら。とぼんやり考えました。

美代ちゃん、お母さんが卒業した私立の女学校にその頃できた短大に、
親の勧めどおり通い始めてました。
気分を切り替えた美代ちゃんは、自分の学校のこと
ちょっと話してくれたらしい。

それから、「ねえ、予備校ってどう?」
ってきかれて、はっと我に返ったけれど、どう答えたのかしら。

どのくらい座っていたのか、どうやってお店出たのかも、覚えていません。

あのころ、あなたは一浪のあとデザインスクールに入って、
学校のそばのアパートに引っ越した、と小兄さんから聞いていました。
14. 見つめて いる 目_a0134863_10135229.gif
# by chigsas | 2009-08-01 10:19
その日の見学は田絵子さんと二人だけでした。

数が少ないので、学年全体の女子がまとまって受ける体育の授業。
女生徒に甘い体育教師は、ずる休みに近い見学も無条件に許してくれる。
だから寒い時期は、体育館の陽の当たる壁際には
見学の生徒が何人も並んでましたね。

もっとも熱血先生の「しんぞうちゃん」なんて
男子には厳しかったらしいから、
体育館の景色も、男子の授業では全然ちがってたかしら?

私、一年の一学期に風邪の後軽い腎臓炎にかかって、
お医者様に体育の授業見学するように言われたのをいいことに、
そのあともずっと半分くらいは見学。

田絵子さんは、二学期の初めくらいから見学するようになっていた。

急に、体育館が広い空間になりました。
みんながバレーボールしている動きも、先生のかけ声も遠のいて、
私と田絵子さんだけが、小さな二つの点になって、
宇宙の中心になって・・・。

そのとき、私の心のスクリーンには、
田絵子さんの歌声が広がっていった美術室で
机の上に目を落としていたあなたの横顔が、
大写しになっていました。

「辻さん、死にたくない。って言ってる、んですって」

卒業して行き来のなくなった美代ちゃんにばったり出会った。
どこだったか思い出せないけれど、神保町あたり。
近くのケーキ屋さんの喫茶室に腰おろして、
美代ちゃんの口から最初にでた言葉でした。

三年になると、田絵子さんはほとんど見かけなくなっていました。
13. ちいさな点 ふたつ_a0134863_11344541.gif

# by chigsas | 2009-07-30 11:37
体の中からあふれてくるものを、どう現していいか分からない、それが
うっすらと涙になって流れてくるのをいっしょうけんめいこらえている。
田絵子さんの絵の女の子と自分が重なったようでした。

家の外ではいつもお互いに知らん顔の小兄さんと、
その日はいっしょに帰りました。
家のそばまで、ほとんどしゃべらないでいた兄さんが、ぽつんと言った言葉。

「田絵子さん、良い奥さんになるために、N高選んだんだって。
一年生の時、自己紹介で言ったけど・・・」
「・・・ほんとのことしか言えない人なんだなぁ・・・。 彼女。」
門の外で立ち止まってしまった私を残して兄さん、家に入っていきました。

「お医者様は、シハンビョウっていうんだけれど」
無造作にスカートの裾めくって、膝小僧見せてくれた、田絵子さん。
小さな紫色の斑点がいくつも、膝の周りに見えました。
余りじっと見てはいけないと、すぐ目をそらした私に、
「でも、それは、紫の斑点ができる症状のことで、そう言う病気は
無いかもしれないし。原因も治療法も分からないらしいの。」

体育館の壁に二人で並んで寄りかかっていました。
「シハンビョウ」という言葉の響きから「死」が連想されて
体が固まってしまった。
余計なこと聞いたと後悔して落ち込んだ私とは反対に
田絵子さんは、さらっと何気ない声。

しばらく黙った後、やっと「紫斑病」という文字が目に浮かんできました。

その日の見学は田絵子さんと二人だけでした。
12.あふれでてくる もの_a0134863_683752.gif

# by chigsas | 2009-07-28 06:12